地元仲間の溜まり場「長寿庵」~そこでPANK-VOICEが生まれた。

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 安田さん、写真映りが悪くて、申しわけありません。本日は夜8時30分より、僕の小学校のときの友達「さだ」のお店「長寿庵」を取材に行った。「長寿庵」についての取材レポートを後ほど掲載します。
 実は僕にとって、長寿庵というお店は地元仲間の溜まり場であった、というより自己バンド「PANK-VOICE」を結成した場所でもある。話は3年前に戻るが、長寿庵の友達さだは、当時ベースを担当していた。現在の僕はマイルス・デイヴィスの60年代のライブビデオを見て触発し、ピアニカをやりはじめたが、3年前はギタリストであった。いわゆるレッド・ホット・チリ・ペッパーズのジョン・フルシアンテのようなギターの音が好きだった18歳であった。そして当然バンド名が「PANK-VOICE」ということから、パンクをやるバンドとして結成したが、結局バンド名を決めるときに、僕がパンクのスペルを間違えてしまった。確か僕の記憶ではパンクのスペルは「PANK」だと思っていたが、実は「PUNK」であったということは、やりはじめてから1ヶ月たって気がついた。そしてもう1人、ドラムは小伝馬町に住んでいるかずくんが手伝ってくれたが、大学受験の関係で辞退し、かわりに堀留町に住んでいるチャーリー{石塚俊司}という当時12歳のドラマーが入った。そのときは確か堀留公園内にある堀留児童館の中で彼と出会った。彼はスタジオで一人黙々とローリング・ストーンズを流しながら、ジャムセッションをしていた。その姿が気に入り、即座に勧誘する。ひたすら堀留公園内にある堀留児童館スタジオで練習した記憶がある。そういえば何故ドラマーの彼がチャーリーと呼ばれているかというと、さだが{石塚}では覚えにくいことから、ローリングストーンズのドラマーチャーリーの名前を借りたということからの由来である。チャーリーは最初抵抗感があったらしいが、後にチャーリーパーカーなど「チャーリー」と呼ばれているミュージシャンを好むようになった。そして月日が流れ、2年前の春、ついにそれぞれの道を歩むときがきた。確かそのときも長寿庵で話し合いをしたと思う。さだはバイク屋に就職し、将来バイク屋を経営するという夢を持っていた。チャーリーは13歳のときから将来公務員になりたいという夢があった。そして僕は音楽を本格的に活動していきたいとみんなの向かう目的が別々になった。そこで僕が話を切り出し、皆それぞれの道を歩む場所を作った。だから今僕が1人で音楽活動を続けているのは、そのためである。2人が辞める最後の日に、さだのおじさんが作ってくれた玉子丼は何故か頭の記憶の中に残っている。甘くてどろどろとした玉子が何とも暖かった。そんなエピソードがあったので、どうしてもこのお店は書きたかった想いがある。
 
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by CET-YP | 2005-08-17 22:11 | ASSY
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